入船山公園

入船山公園の北側の文化ゾーンは自然林を生かしたものとなっている。記念館は、呉市の歴史的資料や旧海軍資料を展示、本館にあたる旧呉鎮守府司令長官官舎は明治期に建築され国の重要文化財である。

美術館は、ブールデルやルノワールや地元出身芸術家作品を展示、枯山水庭園を配する。

記念館から美術館への道すがらに正岡子規句碑がある。また日本の道100選に選ばれた美術館に至る坂道は「美術館通り」と呼ばれ、道端には17点の彫刻やオブジェが点在する

入船山公園

入船山記念館内には,明治38(1905)年当時の姿に復原された旧呉鎮守府司令長官官舎(国指定重要文化財)をはじめ,

歴史民俗資料館,1号館(旧高烏砲台火薬庫,国登録有形文化財),旧海軍工廠塔時計(呉市指定有形文化財),休憩所(旧東郷家住宅離れ,国登録有形文化財)など,

呉の歴史を垣間見ることのできる建物が保存されています

旧呉鎮守府司令長官官舎

1905(明治38)年の建築当時の資料が見つかったことを受け、当時の姿に復元したもので、1998(平成10)年12月に、国の重要文化財に指定されています

この建物は木造平屋建で、東側の洋館部と西側の和館部からなり、洋館部は外観に英国風のハーフティンバー様式を取り入れ、屋根は天然スレートの魚鱗葺きです

また、玄関ドアの上側と左右にはイギリス製のステンドグラスがはめ込まれ、壁や天井には、全国でも珍しい金唐(きんから)紙が張られています

旧海軍工廠塔時計

この塔時計は大正10(1921)年6月10日,旧呉海軍工廠造機部の屋上に設置され,昭和20(1945)年の終戦まで工廠と共にその歴史の時を刻んできました

終戦後,旧工廠内にあったものを,昭和46(1971)年5月,入船山記念館内に移設展示され,昭和56(1981)年の修理により再び時を刻み始めました

現在1日4回(9時,12時,15時,17時)流れているチャイムのメロディは,市内の小中学生が作曲したものです。市有形文化財 昭和56年10月1日

番兵塔

長官官舎や海兵団等の入口に、警備の為に建てられていたもののひとつ

警備のため、長官官舎や海兵団等の入口に建っていました

昼夜問わず人が立っていたため、礎石の足の部分が擦り減っています

旧高烏砲台火薬庫(旧帝国陸軍の戦争遺跡)

この火薬庫は、明治35年に呉軍港に近い休山に建設した高烏砲台火薬庫

明治30(1897)年以降、呉湾や広島湾を見下ろすことのできる要所に陸軍の砲台が築かれていました。

この火薬庫は、明治35(1,902)年に呉港に近い休山に建設した高烏砲台に置かれていたものです。

石造を基本構造としつつトラスト架構で瓦葺き屋根を支えるといった全国的にも珍しい建築様式を残しています

下士官兵集会所

海軍では、鎮守府で勤務する軍人のほか、入港した艦艇の乗員が休憩できる場所が用意されていた

士官には「水交社」、准士官には「海友社」というクラブがあり、下士官・兵向けが「下士官兵集会所」となる

1945年の呉空襲では隣接する長官官舎ともども被害を免れた。戦後の占領期では英連邦軍が使用し(当初は司令部、後にクラブ「呉ハウス」として)、1956年に返還されると海上自衛隊青山クラブとなった。2017年にクラブが廃止された後は呉市に移管され現在に至っている。


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